道路公団の次には郵政事業も、まず「民営化ありき」という結論が先にあって進められようとしている。
今回の道路公団の場合、民営化推進委員の案は超極端な採算性の最優先論だった。それも超最先端な国際会計金融手法による計算によるやり方で考えられており、「道路は公共財」という基本的な大事な視点が抜け落ちていた。
しかし、これくらい極端なものをぶつけられて始めて今回の政府案が出てきた。自らの力で自主的に考え出されたものでないことも又確かである。
公共性と経済的合理性や打算性とを、どのようにバランスしてゆくのが良いのだろうか。
公共性の美名のもとに、長い間には組織が肥大化し、不正や癒着といったことが起きやすく、それは厳しく正さなければならない。
しかし、何が何でも採算性となると、本来果たさなければならない公共性の使命すら忘れられてしまい、あらぬ方向へと歩み始める。
その割合は公共性が五十一%で経済的合理性が四十九%、つまり一%だけは公共性を多くするべき配分が必要なのではないか。
この両者のどちらかに片寄ることなく公開のもとに絶えず緊張関係があることか大切である。
道路公団改革での民営化推進委員会の構成ならば七人そのうち、公共性論者と経済的合理性論者の割合はどうであったのだろう。委員長は中立であらねばならないいとすれば立場は微妙だ。今考えてみても、推進委員を退任された委員長はお気の毒だ。胸中、残念であったに違いないと察する。
又、トップリーダーの人を得ることが最も重要だ。まず「私心」というものが無いこと。経済的利害だけでなく、権力欲、支配欲、名誉欲などが無いこと。そしてその両方を理解できる人物。
郵政の民営化も、現実的な着地のイメージを持ち、実施可能な民営化議論を望む。そして極論に振り回されずとも、むしろ公社が自ら進んで主体として変革を遂げてほしい。
|