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上村多恵子 コラム

   コラム一覧

コラムタイトル
更新日
産経新聞「from」7月掲載号 2004/07/08
産経新聞「from」6月掲載号 2004/06/07
産経新聞「from」5月掲載号 2004/05/10
産経新聞「from」3・4月掲載号 2004/04/26
産経新聞「from」1月掲載号 2004/02/09
産経新聞「from」12月掲載号 2004/01/05
産経新聞「from」11月掲載号 2003/12/01
産経新聞「from」10月掲載号 2003/10/30
産経新聞「from」9月掲載号
2003/09/30
産経新聞「from」8月掲載号 2003/08/31
産経新聞「from」7月掲載号 2003/07/18
産経新聞「from」6月掲載号 2003/07/01



   産経新聞「from」7月掲載号

 メールを開始した頃、ビジネスの関係者とメールのやりとりの中で揉めたことがあった。ケンカ腰の文が送られてきて、こちらもいきり立ち、やり返す。すると相手も負けずにさらに激しく、冷い切り口上の文面で応酬する。何度かの応答の中で、電話で話すこととなった。第一声よりメールでの事はさっぱりとお互い消え去り、理解し合えたのは不思議だ悪い気分やお互いにエキサイティングしたのは何故だったのだろうか。

 私はその事件以来、決してメールでめんどうになりそうな内容のことは打たない。会って話すか、せめて電話にする。メールではやさしくを心がけ、これ以上できなくない程の暖かさを感じさせる甘い文面にすることに努ている。

 長崎の加害女児を始め、青少年の犯罪が増えている。原因は複雑でかつ重なり合っている。その一つにまだ年の幼い子供に対して、多様性な個性や価値を認めすぎるような風潮がある。基礎や躾など充分に知的修練を経て後にたどり着くべき境地に、最初から走っても良いような感性美学やフィーリングを認めてしまっては子供は迷ってしまうのではないか。本調子を教えてから、二上り、三下りの調子となるものだ。押さえても、どうしてもはみ出してしまうのが個性だろう。

 そんな折、先日「みなとの博物館ネットワーク、フォーラム」の設立総会に参加するために横浜港へ行った。海の拡がりを前に、この四方を海に囲まれた島国に生れ、港を通じて古来より交流、交易しながら営んできたこの国の歴史や民族の起源をもう一度紐解いてみたくなった。日本には、又多くの「みなと」をテーマにしたミュージアムや博物館のあることも改めて知った。そして一つ一つの港の、そこに住み暮す人々の生活や文化を訪ねて歩きたいと思う。「人間は何処より生まれ来て、何処へ去ってゆくか」を考えるとき、もう一度今の子供達に実感で教え育む楽しい施設は重要だ。次の世代に大切に継承してゆきたい。

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   産経新聞「from」6月掲載号

年金・税金ポイント制

 年金問題にからんで、つくづく国家による相互扶助の利度とは一体何なのかと考えさせられた。
当然人間は自分一人では生きてゆけない。故に家族をつくり、村落共同体をつくり、国家というカタチをつくり、その一員としてお互いに助け合いながら義務と責任、そしてそこから保護や共有、権利や恩恵を受ける。税金、年金の負担又給付も生まれる。

 未納、未加入の人達は、この相互扶助システムにその期間加わっていなかったことになる。議員の先生方は、この制度をならしめる模範となっていただきたい。もちろん相互扶助の意味を充分に理解しておられるからこそ、集めた年金や税の分配をどうするかの法律や予算配分の議決権を持つ政治家なのだ。

 故に未加入でも許される時期であるとか、うっかりミスとか、システムが悪いと開き直らず、まず自分の根本的な国家認識と問題意識に誤りがあったということの自覚が大切だ。でなければ、誰かのつげ口だとかマスコミが騒いで運が悪かったで、終わってしまう。

 給与天引きされ、律儀に年金や税金を払わされる給与所得者は、たまたまキチンと払うハメになるような我身の立場の弱さを思い知らされる。故にシラケてアホらしい。

  一体年金や税金を一生のうち、どれ位払い、戻り給付されるのだろう。将来、いくつまで生きるか、働くか、生活保護や介護の世話になるかで変わり、未来のことは予測でききらない。しかし、マイレージポイントではないが、人生の中で自分が納めてきた年金、所得税、市民税、県や府民税、相続税、固定資産税等を毎年加算集計して確認できる方法はないだろうか。小負担で高給付を受けている人は、別にへりくだることはないが多少の感謝はあってもいい。そして高負担で小給付の人は威張るのではなく、国家貢献の高い自分への誇りは持ってもいいと思う。そして何点かたまると、何か無形のものがもらえるのはどうだろう。

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   産経新聞「from」5月掲載号

 道路公団の次には郵政事業も、まず「民営化ありき」という結論が先にあって進められようとしている。

 今回の道路公団の場合、民営化推進委員の案は超極端な採算性の最優先論だった。それも超最先端な国際会計金融手法による計算によるやり方で考えられており、「道路は公共財」という基本的な大事な視点が抜け落ちていた。

 しかし、これくらい極端なものをぶつけられて始めて今回の政府案が出てきた。自らの力で自主的に考え出されたものでないことも又確かである。

 公共性と経済的合理性や打算性とを、どのようにバランスしてゆくのが良いのだろうか。
公共性の美名のもとに、長い間には組織が肥大化し、不正や癒着といったことが起きやすく、それは厳しく正さなければならない。

 しかし、何が何でも採算性となると、本来果たさなければならない公共性の使命すら忘れられてしまい、あらぬ方向へと歩み始める。

 その割合は公共性が五十一%で経済的合理性が四十九%、つまり一%だけは公共性を多くするべき配分が必要なのではないか。

 この両者のどちらかに片寄ることなく公開のもとに絶えず緊張関係があることか大切である。
道路公団改革での民営化推進委員会の構成ならば七人そのうち、公共性論者と経済的合理性論者の割合はどうであったのだろう。委員長は中立であらねばならないいとすれば立場は微妙だ。今考えてみても、推進委員を退任された委員長はお気の毒だ。胸中、残念であったに違いないと察する。
又、トップリーダーの人を得ることが最も重要だ。まず「私心」というものが無いこと。経済的利害だけでなく、権力欲、支配欲、名誉欲などが無いこと。そしてその両方を理解できる人物。

 郵政の民営化も、現実的な着地のイメージを持ち、実施可能な民営化議論を望む。そして極論に振り回されずとも、むしろ公社が自ら進んで主体として変革を遂げてほしい。

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   産経新聞「from」3・4月掲載号

 働く場で、意欲と能力のある女性が活躍できるように、企業が行う積極的な取組として「ポジティブ・アクション」がある。

 固定的な性別による役割分担意識により女性を排除する仕組みになっていないかの検証や、女性の主体的な選択を可能にする制度を整えるもので、これが拡がってゆくことは大変良いと思う。厚生労働省がセミナーやパネルディスカッション、広報など、これ啓発、啓蒙に努めていただいている。働く女性の一人として喜ばしいが、男性の腹にホンネのところでズシンと落ちて納得のゆくものでないと、本格的にはならないだろう。

 とかく、お役所には逆らいにくい面がある。又反対でもしたら、口うるさい女性団体や、消費者にねじ込まれたら困るというリスクもある。期間限定であれ女性をエコひいきにする制度は中間管理職の男性から反発されないかの心配がある。経営の合理化やリストラを押し進めるときに労賃の値上がりにつながり足がせになる等々と企業は心の中では思っているような気がする。私は女でもあるが、オヤジ的経営者でもあるのでそのあたりの気持ちが透けてみえる。

 国際的な流れであり、多様な人材価値創造ができ、これを積極的に取り込む企業が結果として男性も働きやすく利益も出し、外部評価も高いという論調だけでは、まだまだインパクトが弱い。
「ポジティブアクション」を、女性の立場や思想までも変える大きな社会運動、構造改革の一つとしてとらえるのならば、もっと大胆にやってみてはどうか。

 罰則規定をともなう規制の方向も一つである。又、他方インセンティブを与える、「ポジティブ・アクション補助金」「減税」「損金繰り入れ」「割増償却」「ローン」などもいかがであろう。
又格付け機関もつくり評価する。と、なると日本の企業も仕方ないとあきらめ、男性社会も変わらざるを得ないかな?

本気ならばね。

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   産経新聞「from」1月掲載号

 最近めっぽう横書きの文章が多くなってきていると感じる。お役所の書類はA4の「横書き」と統一し、決められている。メールも大体横書き。横書きの本も沢山出てきている。
 私は縦書き派である。読むのも縦が好きだ。何より早く書ける。草書、行書、続け字もできる。横書きでは行や字が詰まっていると目がしょぼつく。

  和歌や俳句、詩はほとんど縦書きである。
上から下へ向かって、天から地へと日本語は成り立っていると書家の石川九揚先生も書いておられた。「横書きでは天を感じることができない。天からの垂直な重力を受け止めながら縦に書くことが東アジアの、宗教に代わる人と人との、共同体と共同体との約束の保証であり一種の宗教ではなかったか」と。

  縦書きは情緒的で横書きは理論的と決めつけられるようなそんな単純なものではない。ワープロ打ちと手書きとでも又異なってくる。
 ただ私の場合、横書きの方が文章の時は冗漫に流れやすい。しかし、論点のハッキリした箇条書のレポートを書くときはむしろ書きやすい。縦書きは日本語としてのリズムの調子が良く、ひつこい表現でなくキリリと仕上がるような気がする。そして背筋が伸びて、たゆやかさの中で、静けさの内なる声と話ができるように思えるのだが。

 言葉が文化を規定してゆくものとすれば、文体のフォームの問題はかなり大きい。そしてパソコンや携帯メールの横書き出現は、かなり日本語の思考に変化をもたらすだろう。
 日本語の横書きローマ字化の統一をグローバル時代には提唱する人もいる。 今、第三の維新改革と言われその処理政策がどんどんと進められていく中、せめて「和魂洋才」とまいりたい。しかし、一貫した「洋魂洋才」のパッケージに染まらないと、返ってチグハグで生きにくいかもしれない。
 ところで新聞は縦書きで読みやすいと思うのですが、皆様いかがでしょうか。

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   産経新聞「from」12月掲載号
 今年、入会していたゴルフ場が三つも倒産した。手紙が一本来るだけである。民事再生法や会社更生法が適用されてその結果、A案かB案を選べ、と。A案はプレー権はあるが、預り金は戻ってこない。B案は、金額の十分の一を十五年間かかって払うというもの。

 まったくアホらしいけれどやむなく一応A案に印をつけた。しばらくすると、年会費を払え、払えと矢のように督促状が来る。もちろん、払うけれど高額な会員権がフッ飛んだにもかかわらず、高圧的な督促状の文面に腹を立てて、電話をしてみた。すると女性が出てきて、又もや権高な物の言い方をする。どうも物事の筋道、いきさつなど全く頓着なしである。責任者をと言うと、ここは、事務だけを請負うアウトソーシングであるので文句があるなら管財人に言えということらしい。

 迷惑をかけたという罪悪感などまるでないのは、又もや日本での証券業務から手を引いた某外資系証券会社も然り。日本の証券会社に業務を引き受けてもらうのだが、ここも移管の手続き事務をアウトソーシングの会社に任し、おまけにそこは派遣社員でやっているのだから、不便をかけてすまないとはまったく思っていない態度だ。

 こういう人達と話していると、こちらの頭がだんだんおかしくなってきたのかと錯覚する。私は常識的な方だと思っているのだが、どうも、ささくれ立つ出来事ばかりだ。

 借金を棒引きにしてもらい身軽になった会社と、歯をくいしばり、金利を払い借金を返済する会社とが、同じ土俵でスクラッチで勝負しなくてはならないのは、どうも歩が悪すぎる。不良債権処理で完全退場すべき誰かがけっこう得をして、ツケを回しやすいところにばかり損を押しつける。因果関係がからみ合い、もう、誰のツケを回されたのかがわからない。これが手のウチだったのだ。すばしっこく小器用に、こうしたことが悪いとは思わない人でなければ適応しにくい世のようだ。しんどいね。

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   産経新聞「from」11月掲載号

  先日、道を歩いている時、小さな可愛い女の子達が、おぼつかなく歌うその歌詞に驚いた。 「よーく、考えよう。お金は大事だよー。」私は耳を疑った。ここまではっきりと、ストレートに子供が「お金は大事だよー。」と踊りのフリまでつけ歌っている。

 これは、某保険会社のCMソングらしい。私もさっそくテレビで視た。聞いた。確かに、ライフプランの中でのマネーの大切さを見直そうと訴求したいのはわかるが、少しあざと過ぎないか。天使のようなコスチュームを幼女達に着用させ、繰り返し流すのは。CMソングのメロディは、思わず口ずさんでしまうぐらい、心に残り自然に入ってくる。その詞に「お金は大事だよー。」を無意識に潜在意識にまでたたきこむとは。

 あざとさで言えば、今回の総選挙もそうだった。総裁戦を有利に運ぶために、春から解散、総選挙をチラつかせたため、政治家たちはがぜんその方向へ走り始めた。初夏から資金集めのパーティが相次ぎ、地元固めや準備をし始めたものだから、もう流れは止まらない。首相としては言った以上、ここで一気呵成に自民単独で過半数以上を取り盤石な体制を築こうとしたが、逆にほころびが出て、思惑違いの結果になった。投票率が低いと言われても、そもそも今回の総選挙は誰のためのものだったのか。政治家の都合によるもので、国民不在。クールな看板を頂き、中味は浪花節手法の自民党と、小沢自由党とあいまいに合併し何とかマニフェストでくっつけた本来はクールな民主党とで二大政党制と言われても、国をどっちの方向へ向けるのか。

 あざといと、理屈はそれなりに立っても、その心根の卑しさ、やらしさに嫌気がさす。 そんな小癪な人をもっと増やそうと、一方でディベート教育に力を入れ、他方で、倫理や道徳を教えようと法律を変えて、子供達は混乱し白けるばかりではないのか。大人社会のあざとさこそまず直したい。

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   産経新聞「from」10月掲載号

 一つの神話を信じ、それを鵜呑みにして手ひどい目にあい、その崩壊の当事者となった人間は、なかなか次の神話を簡単に信じることができない。神話とは戦後の経済復興の基となった「土地本位工業資本主義体制」であり、新しい神話は「株主中心資本主義体制」。

 しかしこの古いウエットな神話が、新しいクールな神話に完全に敗れたのを告げたのが、今回の自民党総裁選挙での小泉総理の再選であったのであろう。オールドエコノミーの「ご臨終」を告げる死刑執行人はどうも揺るがない。次の総選挙はどちらもクール対クールの戦いである。経済政策には、大きな相違点はない。

 血や涙を死刑執行人に求めること自体が、ほとんど徒労で無駄なのを思い知ったドラマであった。そしてその執行こそが改革であり、国民に支持されているのだというのだから、神話の犠牲者は何を言っても、「挽かれ者の小唄」、「恨み節」とあざ笑われるだけのようである。
いち早くニューエコノミーに切り替えた企業やベンチャー企業の成功物語がどんどん報道され、景気の回復が言われている。

 オールドエコノミー企業もかなり大胆な変革を始めている。かつて日本で一番含み資産のあった戦前からの名門企業ですら、本社を含む数箇所の工場を売却し、今まで通り使用するがリース方式に切り替えた。不動産は買却して証券化し借入金の返済にあてられる。どこの企業もノンアセッ(非固定)方式で身軽になろうとしている。

 失望を通り越した怒りと開き直りの中からしか、どうも新しい局面は生まれてこないのかもしれない。歴史をまわしていくときには、庶民はケシ粒のように消され、理不尽さはいつもつきまとう。

 神話の崩壊で大人までがその理不尽さにグレて不良化してしまいそうだが、ここはいち早く小器用に前向きに、反発力をバネとするしかないようだ。

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   産経新聞「from」9月掲載号

 「政治には裏の話がつきものなのです。本当は、こういう裏があるのです。こういう力の関係やかけ引きや圧力があって・・・・」と、いうのがたいていの政治家や政治評論家の講演。永田町の裏話で始まり、終わる。又週刊誌や雑誌も裏の話で成り立つ。なるほどと納得する反面、ややこしいので、頭が混乱し、政治家に対し、ウサン臭いイメージを増幅させてしまう。

 なぜ政治には表と裏がつきものなのだろう。これをなくすことは人間の社会ではできないのであろうか。

 又一方、盛んにいわれているのが「マニフェスト」。マニフェストを掲げて総裁選や、総選挙で議論することはとても大切なことであるが、マニフェストの前に、自らよって立つ立場や、党の足場の軸を明確にしてもらいたい。

 そうしなければある一つの政策項目、例えば「高速道路の無料化」それがいくら具体的に財源の裏付けを持つ、実現可能な実現プロセスプランを伴うものであったとしても、賛成すればその他の重要政策まで全部賛成したことになってしまう可能性がある。それはとても危ない。

 まず、日本をこういう社会、国家にしてゆくビジョンを示してほしい。大きな政府か小さな政府か?米英型か国際協調型か?論憲なのか改憲なのか?北朝鮮にどう対応するのか?教育基本法は改正すべきか否か?経済回復の短期、中期、長期的対応方法は?まだまだあるが、そういった日本が今選択すべき論点が明確にあぶり出される必要がある。一人の政治家の中でもねじれており、政党の中ではもっとねじれている。有権者はもう軸がわからず混乱して最後には「人物、人柄」でという曖昧な投票をせざるを得ない。そうすると又人気取りばかりに走る。愚民扱いするから愚民が生まれてしまうのではないか。

 軸を示した上での本来のマニフェストなら賛成だが、一点突破全面展開をねらっているのなら、首をかしげる。

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   産経新聞「from」8月掲載号

 最近,京都の立派立派な名庭園やお屋敷,料亭などが次々に売りに出されている。
それは,日本建築の粋を尽くし、贅を凝らし匠の技に裏打ちされて造られた数々である。日本にまだ財閥というものがあり,個人の大富豪が存在し得た時代の内外の上客をもてなすための迎賓館や別荘であり,さぞかし,にぎやかな又優美で厳かな宴が張られたことであろう。
その後,銀行や証券会社の所有や、料亭へと代わっていった。今や,いよいよ持ちこたえられなくなってきたのだろう。それが、万が一、建売り住宅として細分されたり,マンションになってゆくのは、どうも忍びない。

 もう、そこから利潤を生まないものや,投資利回りの低いものは、市場主義の時代、無用の長物として消えてゆくしかないのだろうか。
公共の美術館としてという声もあるが、それには時間がかかりすぎる。ましてや、公共の所有物すら今は財源不足で売りに出されている有様だ。
DCF(ディスカウント、キャッシュフロー)の査定方法で利回る物件は、かなり限定される。故に、現在,銀行融資や投資に値するものは数少ない。銀行に業務改善の命令を出しても手を出せない。
企業用の物件でもそうである。我社のように倉庫という建物を要し、その償却が税法出は35年も認められる位息の長い低収益の会社と,短期間で勝負の早い高収益会社とでは、同じ物件競争入札でも資産価値査定に差が出て、我社よりかなり高値でセリ落とされた。
今まで、日本の中小企業は、小資本で大きな借り入れを可能にする土地担保主義をテコに成長してきたが、これがここへ来て全滅。今や,潜在的成長率まで失わせている状態だ。

 それ以上にメセナ精神が必要な前述の庭園などは経済的合理性に合わない日本の伝統的美しきものを,いかに新時代に残していけるだろうか。

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   産経新聞「from」7月掲載号

 日本道路公団など四公団の財務諸表が公表された。「取替原価基準」つまり、現在時点で再取得すると仮定して資産評価している。資産が債務を上回り、債務超過ではなかった。私はこれも資産査定の一つの方法だと思う。

  民営化推進委員会はここへ来て,少しあせり過ぎのような気がする。何が何でも四公団は債務超過と判明させ、新規の高速道路建設を凍結し、民営化へ突走りたいと急ぐあまりに、会計の神学論争になっている。

  公会計(特殊法人会計も)と企業会計とでは、その基本的な思想と哲学が異なる。企業会計のフォームは利益を生むことを目的に、資本金の利回りが中心構成だ。公会計はノン・プロフィットのフォーム。故に社会資本としての我々の資産なのだ。

  借金が多いからという理由だけで国民の共有財産である道路公団の資産が少ない方が良く、債務超過の法人としてぶっつぶせと、勇み足が目立つ。日本の高速道路は当初より国費をほとんど投入せず、借入金で初まった。ワトキンス調査団の勧告に基づく世界銀行からの指導は、かなりきびしい条件をクリアしなければならなかったが、その後、財政投融資からの借り入れになってからは、度を越えた長年のもたせ合い構造がなかったとは言えない面もある。道路族も反省するべきところは多いように思う。

  しかし、企業会計そのものも未だ国際会計基準への対応や減損会計の方法も決まっていない段階に、民間手法で一挙に公団を追い込めても、返って公会計の基本精神をゆがめてしまう。

  大切なことは、公団の等身大の姿を数字で色々な角度、手法からあぶり出すこと。その上でこれから造るものが不採算でも建設を続けるかどうかの判断は、国民と政治にゆだねるしかない。しかし、不採算だからこそ社会資本として公の出番もある。それは、決してムダや効率が悪くても良いということではないが。

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   産経新聞「from」6月掲載号

時価会計について論議されているが、今頃にあわてても、もうすでに遅すぎるのではないだろうか。とても残念だけれども。

 過去形で語らなければならない。1998年6月に金融システム改革法ができ、日本が不透明さと規制のない自由な取引を可能にする、グローバルな市場に対応するためのさまざまなルールを変更することが決められている。世界のルールに日本の今までのやり方を大きく変えるのは、この日、経済敗戦を迎えたと言っても過言ではないだろう。私はそう思っている。 まさしく、金融ビックバンだったのだ。この時の認識が甘すぎた。それがどのような影響をおよぼすかの予見が足りなかったということだろう。このことが敗因だ。

 2001年度から時価会計が適用されて以来、株式市場は当然のことのように下落して止まらない。株式持合いになっているのだから、それを回避しようとすれば、又売りが売りを呼び悪循環メカニズムから逃げ出せない。 「会社は誰のものか」となると、当然、外国人も含む株主のものであるが、それでは「国富は、誰のものか」と問いたい。グローバルな時代に会社財産と国富のベクルトを一致させることを何とかできないのだろうか。

 実態は、今まで長期的視野の中で、じっくり取り組めたルールをいきなり時価で問われ評価されるとなると、日本人の心と体がまだ追いついていないのではないか。「その時、その時の価値の最大化」を求める行動に、まだ馴染んでいないのではないか。悪く言えば「あてにならない」「気まぐれ」「ドライ」「その場かぎり」のマインドや、無機質でスピーディな心に慣れていない。しかしチャンスの多いおもしろさを楽しむ心を早く身につけるしかない。もう、賽はなげられている。覚悟がいる。しかし、移行をスムースにする暫定期間と暫定ルールぐらいの余裕は欲しい。でないと、いよいよ元も子も全部なくなってしまう。

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